私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

88、全ては共有できない

この文章を書いていることを旦那には告げている。気持ちが少しだけ『アウトプット』できる様になったので今まであったことや流産経験を経て感じたことを落とし込めてみようと思うと。

 

どこかの誰かがたった一人でも思うところがあって、一瞬でも救われてくれればと思い始めたこのブログを開設する前にある程度の経緯は書き綴っていた段階だったので旦那にはこのブログを開設して少ししてからURLを教えた。

 

いつも自分の気持ちをうまく言葉で発することができない私はこの文章を通して、かなり包み隠さず思ったこと・思っていたことを出すことができている。過去のこともだ。

 

「時間がある時に一気に見ようと思ってる」

といった彼はきっとまだ見ていないと思う。

 

一度だけ

「見た?」

と尋ねたことがある。

 

「時間がある時に一気に見ようと思ってて」

同じ返答だった。

 

だからきっと今も見ていない。正直そこまで興味がないのだろうと思う。

顔を知らない人たちに知ってもらいたい事や気持ちが第一だったが、どこか旦那には

『わかりやすい私の現在の取扱説明書』的な感覚でもいいから見てもらいたかった。

 

一度、私の気持ちがグジャグジャになりあまり夫婦関係が良好とはいえない状況の時に必死で解決策を探り、とある本で

 

『夫婦の交換日記をすればいい。何か言いたいことがある時でもいいし、特にない時に意味のないことを書いてもいい。文章で相手に伝えることはとてもいい会話なのだ』

 

と言うモノを目にして実践してみることにした。

その時に思ったことを軽く書いてみたノートに『うまく伝えるのが下手な私なのでこのノートを作ってみました。もちろん毎日ではなくて何かあった時でも暇な時でもいいからこの交換ノートをここに置くので~~』と説明書きと共に置いてみた。

 

返事はlineで返ってきた。

それ以来そのノートはお蔵入りになってしまった。

 

私は人の気持ちがわからない時。わからなくてどうしたらいいかわからない時。必死でわかろうと、知りたいと思う。

いいことも悪いことも見たいし聞きたいし知りたい。

だから逆の立場だったら即刻にでもこういった文章は読むと思う。それがないなら何とか相手の負担がないやり方で聞きたいと願う。

 

きっと意外とそこまで興味がないのだろうと思う。だって興味があることはいつも何時も携帯で検索してる様だからだ。

 

別に何でもかんでも知る必要はないと思う。夫婦にも夫婦の距離があってそれぞれが決めていればいい。でも、交換ノートの件しかり、イマイチ寄り添って貰えなかった様な気持ちが強くなっていて、最近は一緒にいてもものすごく孤独を感じる時間がある。

 

彼も大好きな外食での酒を我慢したり、大変なご時世の中仕事をするのはかなりきついだろう。

二週間に一度くらいやってくる私の暗闇くんの存在には気付いているので彼は彼で私には気を遣っているところも沢山あるだろう。だからあまり話さない様にしてると言うと、

『言って欲しい』

と言う。

 

男女や夫婦のすれ違いは間違いなくこうやって生じるのだろう。論点がズレてることに本人たちが気づけないのだ。

私はこう言う時にこそ、先の『交換ノート』の様に相手の状況や時と場合に関係なく自主的に覗くことができるパートナーの気持ちと言うモノを知りたかったし知って欲しいと願った。

 

夫婦は結局、いい意味でも悪い意味でも他人なのだと言うことをこの期間中にさらに実感した。報道でもされてる通り離婚する夫婦もきっと増えるのだろう。人間とは本当に複雑で面倒臭い。

 

結婚生活は『忍耐だ』とか『思いやりだ』とか、そんな事をやり切った人でもない様な人たちが述べている。

私は私なりにまだまだ夫婦ランクの低いあまちゃんだが、夫婦は『共同体の形をした他人であって、必死に家族になろうとする過程』以外の何物でもないと感じている。

これは冷めているのではなくて冷静に感じ取った、そして独自にゲットした取扱説明書だ。

 

きっと度合いはあっても皆それぞれ感じてることではないだろうか。

 

私は特に結婚してから孤独を感じる事が増えた。これは悪いことではない。当たり前のことだ。真面目にきちんと結婚生活を送ってれば独身時代の様な孤独の紛らしなどほぼなくなる。

私は根っからの寂しがり屋だが、根っからの一人好きであってきっととっても厄介だな。と言うことも自負している。

ずっといない、も辛いしずっと一緒もきつい。

 

亭主元気で留守がいい、は悪い言葉ではないと思う。今や亭主ではなく両者、かもしれない。

 

現にこの自粛生活で離婚率が上がるのなら皆同じなのだ。人はそれが『当たり前』なのだと思う。

87、真面目を呪わない

緊急事態宣言が解除された。

だからと言って今日この日から突然元に戻るわけではない。

この数ヶ月で多くの命が奪われて多くのモノを失った人もいる。これからまだまだ影響をうけて辛い想いをしていく人が確実にいると言うことが悲しくて悔しくてならない。

 

まだこのコロナ戦争の入り口であった時に私は、

「元々鬱を持ち合わせてるから逆にこう言う状況には強いのではないか」と

綴った。

そう言う面も確かにあったと思う。自分がおかしくなる雰囲気を数日前から察知できるのだ。

その波が否応なくなぜか大体二週間おきに打ち寄せる様に訪れた。

朝起きた瞬間からこの状況を嘆き、何につけてもイライラして自分の孤独を呪ってとにかくそんな日はずっと目に見えるモノ全てに色がなく呼吸がうまくできないのだ。

そして行き着くのが

『何のために生きてるんだろう』

なんて呪いの言葉が必ずよぎるのだ。

どうして私は親になれないのだろう。

どうして私は皆と同じになれないのだろう。

友達に、想いを話せる友人に会いたい・・・。でも会えない。みんな子育てに邁進中だ・・・。

 

という私のぬぐいきれないテーマが襲い掛かる様に頭の中に連呼される。

 

ああ、私のココロまだまだ全然治ってない。

そうこの2ヶ月で実感した。

 

絶賛うつ病と闘病中の私にとって、かなりきつい軟禁期間だった。

そしてちょっと前から人々は割と普通に店に入って食事をしていたり、マスクをせずに大声で話していたり、家に多くの人を呼んで騒いだり。

良くも悪くも真面目で神経質な私はもう人間嫌いになってしまいそうだった。

何でこんなときに・・・とかよくまぁこんなご時世にとか。

 

その人たちを裁く権利などもちろん私にはない。

でもお願いされていることを、そして何より最前線で頑張ってる人たちを守るために真面目にSTAY HOMEを実行していた自分がバカに思えた時もある。

やっぱり世の中は真面目が損をするのかな。とも考えた。

きっと何も考えずに行動してる人はたとえ感染したとしてもその『精神的な鈍感さ』で無症状で苦しむこともないのだろう。

それが免疫って奴なのだろうか。

 

そのモヤモヤが解けないまま今朝を迎えた。あまりにひどい人たちを目にしすぎて目も心も曇っていた。

 

いつも大体朝の家事をしている時に流れてる『スッキリ』でこの緊急事態宣言解除についてもちろん触れていたのだが、出演者のキャンベルさんが

 

「もちろんこれで全て終わり、コロナがゼロになることなんてないのだけどこの1ヶ月半、日本の人たちは強制力のない要請の中でそれぞれの自粛を弁えてやっていた人たちが沢山いたからここまで少ない人数で抑えることができたのは明らか。そこは『ああ、良かった。頑張った結果だ』と思っていいと思います」

と言っていた。

元々テレビのワイドショーはあまり好きではないのだが『スッキリ』に関しては加藤さんのはっきり言う姿勢とか、余計な情報をまかない所に好感があり朝はこれを流して最低限の情報を入れようと流している。そしてこのロバートキャンベルさんの物腰の柔らかい言葉や考えはとても好きで何とも癒されるのだ。

 

この『ああ、良かった。頑張った結果だ』

とあの声で言われたと瞬間、何となくモヤモヤが晴れた気がした。

 

そう。ひどいモラルの人たちばかりに目がいって嘆いて自分の性格を嘆き世の中を嫌いになりかけていたけど、

他にも沢山『ちゃんと守っていた人たち』がいたんだな、と言うことが実感できて安心したのだ。

 

7、8割の自己中心的な人たちではなく、2、3割の真面目な人たちでこの世はこの日本は支えられてるんだ。

強く言いたい。

だからいい意味で使う。

『バカはバカのままバカな人生を送っていればいい』

 

いつでも真面目は影に隠れてる。

音楽活動してた時もよくわからないライブハウスの店長に

「真面目でつまらない」

と言われ悩んだことがある。

 

真面目を呪うより、だからこそ守れてる何かが沢山あるって信じなきゃいけない。

そうキャンベルさんのたった一つのコメントで思った。

86、癒えない

宇多田ヒカルの曲が好きだ。

正確に言えば、彼女が一時音楽活動を休止しそして子を産み、母親をあのような形で亡くした後の彼女の曲が好きだ。

どこか孤独のエッセンスを加えた前向きな曲や希望を散らした願い事、それは歌詞も然りだがメロディーや楽器の旋律もたまらなく惹かれる所が多い。

 

元々彼女の曲は聞いていたが、そこまで入り込むほどでもなかった。

しかし私が3度目の流産をし、打ちひしがれてる時に彼女の

『真夏の通り雨』

という曲が流れてきて、その瞬間に自分の気持ちをそのまま代弁されてるような、しかも曲に包まれて浄化されるような不思議な気持ちに包まれた。

 

~夢の途中で目を覚まし 瞼閉じても戻れない さっきまで鮮明だった世界 もう幻~

 

ちょっと前まで自分のお腹にいる子供が空へ行ってしまった私には撃たれるような導入だ。

 

~揺れる若葉に手を伸ばし あなたに想いを馳せる時 いつになったら悲しくなくなる 教えて欲しい~

 

そのままだった。

 

そして曲の後半。引き込まれるループの中で連呼する。

 

~ずっと止まない止まない雨に ずっと癒えない癒えない乾き ずっと止まない止まない雨に ずっと癒えない癒えない乾き~

 

涙が止まらなかった。雨が降るような情景なのに、涙がとめどなく溢れて止まらないのに、心が乾いてカラカラで仕方がなかったのだ。

 

彼女の人生もきっと物凄い大変なことで溢れているのだろう。

それは時に映像に現れる彼女の表情や、人への距離感でものすごく伝わる。

自分自身には子供を授かり、よくわからないままに一生心に掴みかかる形で母親との別れが訪れた。

想像もできない。

 

私はその後の彼女の曲をまるで実験を行ってるかのように聞き入った。

そして彼女の『詩』をまとめた本も買ってみた。

歌の歌詞ではないと感じるものが多かった。きっと英語が主流の彼女にとって『歌詞もメロディー』なのだと思った。

 

孤独を纏った輝く人が好きだ。

ただただ『頑張れ!』『夢は叶う!』とでっかい声でいてる人間よりも囁くように歌うように気持ちを落とし込めて押し付けない人が好きだ。

今週はずっと曇り空。孤独の蔓延するこの国で生きていくにはこの孤独と友達にならなくてはならない。

 

彼女の様に歌で、他にもダンスや演劇、文章を書き絵を描きモノを創造する。そうやって孤独であることと向き合って認めているものが私には今とても眩しく美しく写る。

85、喋れない

緊急事態宣言は未だ解けていない東京であるが、連休明けからは我が家の近所、いや、住宅街と言える場所はもうほとんど元どおりと言っても過言ではない。

 

最近できたと言うフルーツサンド的な店には連日行列ができている。こんな時にも並ぶのか日本人は、と毎日その行列を前に私は呆れてしまう。

 

しかし一方で、これもまた近所の商店街にある一つの居酒屋さんが今月に閉店します、と言う看板を立てて今まで使っていたのであろう食材や備品を売りに出していた。

これからもっともっと増えていくであろうこの情景を目にして苦しくなった。

 

もちろん今すぐに元どおりに戻るわけにいかない。

今の状況でごく普通に密な状況の店内で食事をしてる人も先に述べた行列をなしてる人たちも『どうかと思う』のではあるが、一方で業績悪化で潰れていき苦しんでいる様子を見てしまうと、もうどうしていいものかわからなくなる。

こんなにも発達した世の中で、ウィルスに対しては未だ

『人との接触を断つ』

ことでしか対抗できないのか・・・。

 

こんな合間にも、私は先日また心療内科へと出向いた。

人と話す事がほぼほぼない状況の中で、先生と少しの時間、自分の気持ちを話すだけでとても救われる。

 

数日前に旦那が初めて、オンライン飲み会というものをやっていた。

私ももちろん顔見知りの人たちなのでちょこちょこ参加しては「これはなかなかおもしろいものだな」と思ったものである。

 

でも途中、わけもなく物凄い孤独感に襲われたのだ。

その集まりはわりかし趣味的な事を介して仲良くしている人たちということもある。

旦那よりもまぁまぁ歳の上の人たちなので旦那自体ももちろん気を使ってるところはあるのだが、その趣味の話になるとそれはもう楽しそうに盛り上がってはお酒が進んでいた。

私にはイマイチわからない話が多い。それは前からだ。でも旦那が楽しそうにしてる姿はよいものだと思ってみていた。(酔っぱらってる姿はイマイチ好きではないのだけど・・・)

 

こういう軟禁状態にある今、主婦で子なしの私は1日ほとんど喋ることもない。

ひどい鬱状態からも人と接することを積極的に行うことで少しづつ脱却して行った。

それが今、否応なくできない状態にある。

そして私が心から話したい、そしてお酒でも飲みかわして盛り上がりたい友人たちはもうほぼ家に子供がいる。

それはそれは大変なのであろう。

オンライン飲み会だなんてしてる余裕はないだろう。

断られるのも怖くて誰にも提案していない。

 

そんな中ふと思いおこしたまだ子持ちがほとんどいない、音楽活動仲間の男たちに提案してみよう!とその中の一人に

「オンライン飲み会でもしてみましょうよー」

とLINEしてみた。

 

その返信は

 

『実は嫁が妊娠しまして』

的な内容とともにゆるーくその飲み会のお断り的な空気がダダ漏れだった。

 

その夜からまた具合がどうにも悪い。

相手が男だったこともあり

「素直に羨ましい」

と言えたのはよかったのだが、孤独感とどんどん置いてけぼりになってる自分と『話せる、盛り上がれる人』が私には今いないのだと突きつけられた気さえしてしまい涙が止まらなかった。

 

把握してるだけでもこの先近いところで出産報告が3件は控えている。

コロナの第二波、第三波とともに

私はこの出産報告、妊娠報告の絶え間ない波に備えなければならないのだ。

84、報われない

引き続きちょっとした軟禁状態は続く。

 

うちの集合住宅の中には世に言う『非常識』としか見受けられない家が二つほどある。

非常事態宣言が発令され、医療現場も逼迫しておりコロナというものがいかに恐ろしいかを有名な著名人が身を以て示していた最中にも、と言うか最中だからかなのか普段よりも更に頻繁に家に沢山の人を招いては騒いだりしていた。

でっかい声で盛り上がってはその中で子供もペットも騒ぎ、そして同様に騒ぎながら帰っていく。

真夜中にも何回か行われてた。

 

もちろん集まるのは自由だ。だけど、私が心の底から思ったのはよくこんなご時世の最中

「やめてください」

と言われてる事を堂々と、なんの悪びれもなくできるのか・・・しかも、集まる、と言うことはそう言う人間たちが同じ感覚を持ち合わせていて『一堂に介して』いるわけだ。

 

しかもこんなに近辺で2世帯も。

その後のゴミの出し方もまぁ、酷いものでいつも思う事なのだがこちら側からみた『非常識』な人たちはほぼほぼゴミ出しに関しても酷い人たちがほとんどだ。

 

連休が明け、街も結構いつも通りの空気感が戻ってきている。

この調子だとどうにもまた二週間後の結果が恐ろしいけれど経済的な事を考えれば仕方のない事なのだろう。

 

当たり前の生活が当たり前でなくなっている今現在。

私が思う『常識的な人間』と言うのは2、3割いるかいないかでその他の7割はやはりどこかネジが抜けていて自己中心的な『ただ自分は生きている』的な人間なのではないかと感じた。

 

世の中の情勢をきちんと色々な媒体で自分の目で見て聞いて感じてるのだろうか。

逆に『テレビ』しか見ない人間だとしても、その『テレビ』でさえ自粛自粛と繰り返し懇願的に繰り返していたのに関わらず何も感じないのだろうか。

とにかく不思議でならない。

 

そしていちいち人権人権と言っているが故に物事が進まないこの国でその主張する『人権』ってなんなのだろう。

 

パチンコ屋だけを例に挙げるのは確かにナンセンスかもしれないが堂々とインタビューに

「別に関係ないし暇だからどうしても来てしまう」

とわざわざ答えている脳みその軽い人たちの顔なんて晒してしまえばいいのにと思う。

これは、よくある

『河岸ゴルフオヤジ』

のインタビュー時にもいつも思っていた事だ(笑)

 

人権より人命なのは当たり前。

ここまで世の中が逼迫しても『通常通り』を通そうとする信仰は一体なんなのだろう。

 

真面目が馬鹿を見る。

そんな世の中になってるのだろうか。

今までの我慢が意味なくなっている気さえしてしまう。

「報われない」極みだ。

 

とにかく今からは新しい生き方を模索していくことは間違いなさそうだ。

けれど、一人で生きてはいけない人間が『他人』に対して何も感じなくなってはもうそれは機械と一緒だ。

 

隣のマンションの屋上ではせっせと何やらバーベキュー的な準備をしている。

その頭、丸ごと焼いた方がいいんじゃないかしら。

 

私は洗濯物をしまいながら心から思った。

83、浮かばない

初めて少し日が空いてしまった。

 

旦那の仕事がようやくうまく時差出勤や交代勤務ができるようになったので一人の時間が大分減ったこともあるが、とにかくその一人の時間然り、そうでない時も我が家の息子犬の「くっつき虫」度が相当上がって来てることに理由がある。

 

やはり今のどこか「イレギュラー」な動きの毎日にワンコもストレスを感じてるのは間違いないようで普段と違う動きを見せることが増えた。

 

元より、犬というよりも猫っぽい性格で誰かが座ればその途端に膝に飛び乗り丸くなって眠る。

そのため現在、夫婦揃ってお尻の筋肉が凝ってしまい

「痛い、痛い」

の日々だ。

 

地獄か何かで膝の上に重石を乗せられているあの苦行的な拷問時間が大分長いためである(笑)

 

それに加え、携帯はそこまでなのだがこの『PC』に対して物凄い嫉妬心を抱くらしく

PCをいじる際にはもれなく膝に乗せなければ少々暴れ回るくらいに毛嫌いする。

 

きっと、じっとそれを見つめながら手を動かし夢中になっているのが嫌なのだろう。

 

なので今までは極力外でPCをいじることにしていたが、今はそういうわけにもいかないのでなかなかに綴ることが困難になりつつある・・・という状態なのだ。

 

近頃は『変な』そして『妙にリアルな』夢をやたら見る。

そして目覚めた時には

 

「あー、また1日が始まって”しまった”」

 

とよく考えれば物凄く贅沢でしょうもない事を考えてしまう。

 

いいニュースがなかなか巡ってこないと、心が枯渇して朝に希望を見出せない。

未来を夢見れない今はとにかく耐える時なのだとわかってはいるが、同時にこの今をチャンスに変え何かを始めようとしてる人には頭も下がるし私には到底無理だなぁ。なんて思う。

 

そのエネルギーをそういった人たちはどこに蓄えているのだろう。

バイタリティーというものはやはりゲームのステータスみたいに人それぞれ持ち合わせが違うのだろうか。

 

ピンチをチャンスに変えられる人は、どうやってその技を習得したのだろう。

 

どうか、1日も早く我が息子犬がストレスを感じない『日常』が戻って来ますように。

今はその願い事しか浮かばない。

 

 

82、いない

昨晩『アメトーク』でノムさんありがとう芸人をやっていた。

中学時代、ヤクルトスワローズが黄金期と言われる少し前から私はちょっとしたきっかけでヤクルトファンと化し、ファンクラブはもちろん応援歌も全曲モーラ。

 

その中でも頭のキレる立ち位置にいた古田の大ファンだった。

だから入団当初から繋がりが物凄い強かったノムさんには個人的にもとても思い入れがある。

 

昨晩の番組内でも懐かしい話が沢山繰り広げられてて、そりゃあもう

『池山』『広沢』『飯田』『内藤』『川崎』『岡林』『高津』『秦』

なんて名前を聞いただけで久々に心が踊った。

 

就寝が早めだった私は当時ベッドの中で延長戦になっていた野球中継をラジオで聞いていたものだ。

ノムさんの胴上げも、幸運なことに何度か球場でみる事ができた。

 

あの頃、あんなに夢中になっていた事。

あのエネルギーはどこへ行ったのだろうと、ふと思った。

 

大人になるとエネルギーはとかく多くの方面に分散され全身の情熱を持って夢中になれる事というのは限られてくるように思う。

実際問題、『それどころではない』時間が沢山発生してしまうからか・・・・。

 

ノムさんの言葉の中に

 

「金を残すのは三流。名を残すのは二流。人を残すのは一流」

 

というものがある。

げんに今のプロ野球界の監督陣は多くがノムさんの教え子である事実が存在する。

物凄い人だったのだと再び痛感した。

 

それと共に、妻が亡くなってからの男性の弱り方も心にぐさっとくるものがあった。

妻の沙知代さんが亡くなってからノムさんは一気におじいさんめいていき、追いかけるように空へ行ってしまった。

 

男の人はやはり妻に先立たれると大抵の場合は弱ってくという。

逆に女は、夫に先立たれてもそんなには『弱る』というイメージはない。

女は強い。

 

私は兄弟姉妹もいない。

そしてご存知の通り今のところ子供もいない。

 

もう大切な人を失うのが怖くて仕方ないが、よっぽどの事が起きない限り否応なくこれからまた失っていく未来が用意されている。

 

私は私より長生きしてくれる身内が誰一人いなくなる可能性が高い。

こんな見えない孤独に恐怖さえ覚える時もある。

 

だから、旦那にはお願いだから私より長生きしてほしい。とお願いした。

本当なら逆の方が『夫』を思いやれている願い事なのかもしれない。

 

旦那には血を分けた子供が既にいる。

私には死んだ後にどうこうしてくれる人がいないのだ。

その場合どうなるのだろう。

 

 

ああ、またしょうもない先の不安にかられてしまった。

 

大和田獏さんがとても心配だ。

『憎い』

という言葉が本当にずっしりのしかかる。

 

中国から発症したこのウィルスはいったいどこまで関係のない人たちを苦しめ続けるのだろう。