私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

81、ココロない

自分の中の『LINE』の稼働率は高い方ではない。

ほぼ、旦那しか「毎日」は動かない。あまり友人とも頻繁に連絡を取るタイプでもない。

 

仲の良い仲間の中でもグループがいくつか別れていたりもする。

いい意味でも悪い意味でも、このグループはこの人たちがいては話がし難いという理由を元に作られているモノだと思う。

 

現在、たまに動くグループライン。こんな状況だからか普段よりもふと気づけば進んで盛り上がってたりする事が増えた。

それに助けられる事も大いにある。

ああ、皆頑張ってるな、とかくだらない話で気が紛れたり一人の時間が埋まったりする。

 

たわいもない会話の中でやはり如何にもこうにも自分が登場しづらい会話内容がある。

 

それはもちろん子供の話。

そして妊娠中の話。

 

この文章を書き始めるに当たって、Twitterなどで同じ経験をしている人たちが私と同じくこう言ったまだ名もなき『ハラスメント』を受けた。という嘆きをよく目にするようになった。

 

そして、その中で出産直後の『産後鬱』に対して『産後ハイ』とか妊娠中は『マタニティーハイ』なんてものが存在する。という事も結構目にする。

なるほどねぇ、と思う内容が多かった。

 

それはこちら側の人間にしてみれば紛れもない事実と映る。

私が縁の切れてしまった友人の『マタニティーマーク付きSNS投稿』問題もしかり。

 

現在動いているLINEグループでも申し訳ないが私からみればマタニティーハイなのかしら?と思わざるを得ない会話が繰り広げられた。

正直、誰も聞いていないことをマタニティーがらみで答えていたのだ。

そのマタニティーがらみの会話は誰がどう考えたって

「えー楽しみ」

とか

「へーいいねぇ〜」

とかしか答えようがなかろう。

 

ただでさえ毎日必死に軟禁状態に耐えてギリギリ暗闇くんを遠ざけている私はこの会話を寝る前に見てしまい、ものの見事にノックアウトだった。

 

『ああ。私は親になれない。』

 

久しぶりに4年間持ち合わせていた孤独が寝床に呪いのように張り付いた。

寝れなかった。

寂しくなって苦しくなった。

どうして私だけ、とまた意味のない問いかけを頭で繰り返した。

 

お願いします。おめでたいことなのはよくわかっていますが、どうか産まれた時に全ての情報を開示してください。

 

私の事情を知っているのだから、私のいないグループで話してください。

 

こう思って苦しんでる人が沢山います。

それをきっかけに自分を卑下しさらに苦しんでしまうのが私たち、子供が欲しくても授からない女の当たり前の本音なのだ。

 

この息の苦しさはしばらく消えなそうだ。

今日はスーパーの入り口にあった花を買おう。

 

 

80、知らされない

このコロナ騒ぎの裏側で4月から水質基準の見直しが行われたらしい。国民にはもちろん何も知らされずに進められたことのようだ。その中には毒性の強い除草剤や殺虫剤も緩和対象になってるらしい。これには飲料水の水質悪化が懸念されるのは必至だ。

 

マスコミが情報操作のもと動かされてることや、それぞれの利権や派閥によって偏った情報ばかりが特に地上波では流されてる事はわかっているのでなるべく偏らないように、でも自分の思う「正しさ」を選んで疑いながら自分に情報を取り入れるようになってから、特に国のやり方がよくわかるようになった。

 

テレビしか見ないお年寄りやお国の状況に全く興味もなく危機感もない人たちは疑問に思わないのだろうか?

自分の知らないところで何を決められ、何が動いてるのか。

 

世にいう『お花畑』というのは一体どういうことを日々考えてるのだろう。

でもきっとそう人こそ、テレビでちょっとあれこれが体にいいらしい。と聞くと次の日にスーパーへ行きその食材なりを買いまくって試し、満足を得てるのだろう。別にそれが悪いのではない。

ただ、この世界の状態を見て疑問に思う事がこんなにあるのに気にならないのだろうか。

 

世の情勢を我が家では昔からよく話をしていた。両親は疑い深く、なぜだろうと思うことを追求し夫婦で語り合うといういい所を二人で持ち合わせている。

 

ネット上にはおかしな情報も腐る程流れてはいるが、その『デマ情報』や『フェイクニュース』と同じくらいもはや地上波のニュース番組は私的には信用できない。それにも様々理由があるからだ。

 

バラエティー番組でさえできる事が減ってきて、演者自体がyoutubeやamebaTVなど視聴者が『選んで』視聴する媒体に移行してきている。入り口が狭い分、やりたい事がやりやすくなってるのだ。そりゃ、皆そっちに行くだろう。

 

日本も早く、チャンネルを自分で買う。それが当たり前にならないだろうか。もうすでに広告主でさえ地上波から離れ始めてるとも耳にするがネット選挙が今の政治家にとって不都合に働くだろうから行われないのと同じようにこれにもまだまだ時間がかかりそうだ。

 

前述したようにこのコロナの問題の中で一つ、ホワイトハウスへの署名に一票を投じた。

実際に発令されるかどうかは別として、こう言った仕組みがあるのはさすがアメリカだ。

 

民主主義の何たるや・・・・

 

このコロナ戦争を機にこの辺も人々の心に植え付けらえる、ある意味いい機会になる事に少しだけ期待している自分がいる。

自分の経験してきた事、全て、総じて。

もう日本の法律を根本から見直し議論して行かなくてはいけない所にきているのではないだろうか。

 

『個』が生きやすい民主主義を心から望む。

そういえば朝ドラ『スカーレット』で言っていた。

 

「自由は不自由だ!」

 

まさしくこれだ。

NHKで言ってたじゃないの(笑)

 

79、むいてない

ワインが好きだ。

二十代から散々パラお酒は飲んできて、ある程度は一通りの種を嗜んだと思う。

 

だいたい初めは梅酒とか当時はやってた杏露酒の類。

更にその頃のクラブではZIMAなんて、思えばなんの酒だよ!?と思ってしまう酒が出回っていて美味しいと思わずに酔うために飲んでた酒もある。テキーラや薬草酒の類。

やっすい日本酒を飲み過ぎて後悔したり、ボトルで芋焼酎を仲間でシェアしたりもした。

旦那がやっていたBarではBarなのにやたら緑茶ハイの類が美味しくてそればかりを飲んでいた。

赤提灯を巡っては二十代ですでにおっさん化していた。

 

ワインは途中で洋食にはやはりワインが合う(味が変わる)と分かった時からだった。洋食と言っても洒落たお高いお店ではなく小皿で楽しむような安いお店だ。

 

ワインにこだわるBarにも行った事があるが、私の経験上はこだわる店は=偏ってる店が多い。

料理を主体にワインにこだわる店は別だ。きちんとバラエティー豊富に揃えてる所が多い。

 

旦那はお酒を提供していた側なのにずっとワインが飲めなかった。というか好まなかった。

私と結婚して、洋なものを食べる機会が増えてからそして、とある赤ワインにものすごく衝撃を受けた時から見事にその世界が解放されたらしい。

カルフォルニアのジンファンデルの一本だ。

私たちには共通してこの初めに衝撃を受けたワインを中心にそれと比べどうか?という選び方の指針が成立している。

 

牛肉とワイン、チーズとワイン、生ハムとワイン、というおなじみの組み合わせが『イケすかないわ~』とか思った時代もあったが悔しいことにその組み合わせが本当にナイスカップルなのである。

これを発見した人はすごいな、と思う組み合わせ。

 

今の楽しみは食べることくらいしかない、という人も多いと思う。

これを機に料理をなんて人も増えてるかもしれない。

 

私は正直言って料理がそこまで好きなタイプではない。

そう気づいたのは実はうつ病になってからだ。

 

掃除や洗濯はきれいになって行く過程や干されてる洗濯物を見るだけで物凄い達成感と癒しを感じるくらい好きなのだが、こと料理に関しては『ああ、そろそろ作らなきゃ』と考えてしまう事が多い。

うつ病がの症状が良くない時はこのあまり乗り気になれない家事が物凄く億劫になり、やる気が無くなってしまう。

それで気づいたのだ。

 

「あ、私家事の中で料理はあまり好きじゃないかも、むいてないかも」

と。

 

調子が悪い時に初めて気づく自分の本質ってものが結構あったりする。

最近はそれを楽しめるようにもなってきた。

これが億劫だから、できないから今調子が悪いんだな、と逆に気づくという技も手に入れた。

 

頑張り過ぎず、頑張っていかなければいけないこの毎日をなるべくなら好きなことで埋めていきたい。

自分を守るために。

78、好きじゃない

雨が予報通り降っている。

結構な土砂降りだ。

気圧や湿気にめっぽう弱い私は起きた瞬間から体の調子が悪い。

 

熱が末端に溜まっている感覚と、頭と目がシュパシュパする感じだ。

 

以前、まだ『妊娠するために』と希望いっぱいで通っていたプレマタニティーフィットネス(妊娠しやすい体にするためのフィットネス)の先生が言っていた事がある。

 

「私は雨の日も好きです。なんだか自分を洗い流してくれるような・・・そんな浄化されるような感覚で好きです。」

 

こと、運動を推奨して先導をとっている人は割とそういう『前向き思考』みたいなものを前面に押し出してくる人が多いように感じる。

自分の心が前向きで調子が良い時はその言葉も『なるほど』と思うこともあるが、基本元より前向きよりではない私はどちらかというとこの、体育会系ノリの人たちが苦手だった。

 

頑張ろう!

前を向こう!

体を動かせば元気になる!

 

常に風船を目一杯膨らませてる状態のようなこのノリが子供の時から苦手だった。

 

確かに物事を前向きに捉えるのはとても大事な事だということも充の承知の四十路。

けれど、そこに無理が生じてる事がほとんどであるのにそれを押し付けてくる感じがどうにも好きじゃない。

 

それと似たようなものではあるが、ちょっと体の具合がよろしくない時に

『ランニングでもしなよ』

という皇居を集団で走っているようなノリも苦手である。

 

ああ。なるほど、それは気持ち良いだろうね。

でもきっとこの後飲みにいったりしちゃうんだろうねぇ。なんて性格の悪い部分が顔を出す。

 

それを素で常に行っていれる人はきっとそもそも病気にはならないし、要はすぐに「忘れる」という最高のスキルをお持ちなのだろう。

羨ましいけどなりたくはない。

 

人は大抵何かにぶつかって疲れては休息が必要となる。

頑張っても結果が伴わないことなど沢山存在する。

 

その心の声を、

今は政府のお偉方にちゃんと聞いて欲しいものだ。

 

今日の雨はより憂鬱を背負ってるように感じる。

 

大好きなトリマーさんがいるところへシャンプーにもいけなくなった息子犬のシャンプーをこれからしようと思う。

 

雨は嫌いじゃないけど、好きでもない。

 

そんなものだ。

 

77、変えなければならない

心療内科に行って現在の状態を先生に話しただけで気持ちがとても楽になった。

とても短時間ではあるが、この言葉に言い表し辛い気持ちを言葉をゆっくり探りながら放出できただけでこの1ヶ月溜め込み状態であった何かが無くなった気がする。

 

前述の通り、現在通っている心療内科は転院して来た所で「薬」だけを与えて安心させようとする先生ではない。

初めに通っていた所はとにかくすぐに薬を大量に出してくる病院だったので、今思えば恐ろしい牢獄のような場所だったかもしれない。

 

そして今の先生は、きっと自分と本質が似ている。と感じるのだ。

 

私は元々神経質なところがあり、今執拗に推奨されている『手洗い』も『うがい』も元来やりすぎではないかというくらいに行っていた。

冬場は特に誰かが触ったであろう場所は必ず拭いたり除菌したりしていた。

 

先生もきっといい意味でとても繊細で神経質なタイプと見受けられるので病院自体も現在は物凄いコロナ対策を万全に整えていた。

でも、そういう安心感もこういった病院ではとても大切な事だと思う。

我が息子犬も私に似たのかとても繊細な子だ。

ちょっとした物音にビクッとするし、現在の『普通ではない』状況をものすごく察知していて毎日全身に哀愁を帯びているようにさえ感じる。

 

植物が人の代わりに枯れるのと同じようにこの子たちが私たちの心の重荷を一緒に背負ってしまってるのなら、その状況は即刻変えなければならない。

https://www.instagram.com/p/B_B5xpnnyj0/

黒パグの梵 on Instagram: “花に癒される。 花は強いなぁ。 ワンコに癒される。 ワンコは凄いなぁ。 #パグ #黒パグ #ぱぐすたぐらむ #パグ部 #パグのいる生活 #犬と花 #癒し #癒し犬 #花のある暮らし #写真で伝えたい私の世界 #pug #blackpug #dogandflower…”

 

 

76、ママは負けない

今日は『月に1度で良いでしょう』と太鼓判を押してもらってから初の心療内科だ。

 

こんな時だ。この1ヶ月で結構

「ヤバイ」

という日も何日かあり身構えてそれによって余計疲れたりもしたが、正直その日に抗うつ剤を飲んでもあまり変わりがなかった。

日によって波があるので抗うつ剤に対しての信頼性が逆に自分の中で無くなって来ている。

ある意味ではそれくらいに減薬できている証拠なのかもしれない。

否応なく呼吸が苦しくなる時、怒りがこみ上げる時、涙が出る時。

今はそれが普通であると思える世界状況だからなのかもしれない。

 

うつ病であることを自分で認めて診断されてからうまく付き合えて来ている。

このコロナ騒ぎの中、おなじみの暗闇くんはちょっと違った格好をしてたまにご機嫌伺いにきた。

しかしニヤニヤしながら過去の出来事を脳裏に流し込んでくる日もある。

 

お空にいる子供たち。

そちらは安全だね。楽しいかな。みんなで仲良くしてるかな。

ママは少しそんなことを思ってホッとしています。

春だから。暖かいから。

沢山走り回って、いろんな人と会って、自由に遊ぶんだよ。

75、足並み揃わない

昨日、始めて友人とfacetimeで長時間会話をした。

音楽に携わっていた時の『相方』と呼べる子で、そりゃあもう素晴らしいピアノを奏でる彼女。

ちょうど誕生日だったので久しぶりにおめでとう、とLINEをした。

 

今でもバリバリ仕事をやって生き生きと過ごしてる彼女の職種はまさに『3密』の条件が重なる職種で現在、休業中だという。

そして彼女は1人でいる時間が長くて1日に1度はわけもなく涙する、と言っていた。

その気持ちが痛いほどよく分かった。

 

とても真面目で常識ある彼女はもちろん実家へ行く選択もしていない。

一人で自粛する道を選んでいる。

 

そんなLINEを読んで、私の方から

「明日にでもFaceTimeで話してみない?」

と、持ちかけてみた。

 

あまりこういう類のビデオチャット的なことに触れた事がなかったが、自分自身も1人でいる時間が辛くなってきて何日か前から親と数分だけでもビデオ電話をするようにしていた。

『顔を合わせて』数分話すだけでもとても気が楽になるのだ。

 

彼女もあまりこういう経験がないとのことで最初は二人してマゴマゴしながら話していたのだが、途中で彼女の誕生日を祝って一杯やったり、それぞれ好きなものを飲んだり食べたりしながら久しぶりの会話を展開していたら、気づけば4時間経過していたのである。

驚いた。

 

やはりただ声だけで電話するのと、実際に顔をみながら話すのとでは全く違うと初めて分かった。

もちろん実際会うのとはまた違うが今、この時、とても有効な孤独脱出術だと実感した。

 

電話を切る時、彼女もすっかり笑顔になりお互いに今日1日を良い風にしのげたね。と言い合った。

 

毎日、1日をどう凌ぐかそればかりを考える。

就寝前に明日はどう凌ぐかを頭で計画している。

そんな日々だ。

 

一方昨日、同じ住居内に住んでる人の中で人を集めて騒いでる家があった。

夜中その集会が終わったらしく大声出しながら居住内全体に響き渡る声でガヤガヤ帰っていったのだが軽く10人以上はいたと思う。

マスクをつけてる人なんてもちろん一人もいなかったように見受けられた。

 

今のこの緊迫状況でさえ、相変わらず何も考えずにこういう行動ができる人を心から軽蔑している。それがわさわさ同じ場所に10人以上も集まるのだ。

『類は友を呼ぶ』

とは本当によく言ったものだと思う。

こんな人たちが存在するのだ。足並みなんか絶対に揃いっこない。

 

そんな集団を見て、今日ビデオにて会話をした彼女。

実家に帰ることもきちんと憚り、外出も控え1日1回は1人で泣いてしまう、と言っていた彼女をぎゅーっと抱きしめたい気持ちになった。