昨日、始めて友人とfacetimeで長時間会話をした。
音楽に携わっていた時の『相方』と呼べる子で、そりゃあもう素晴らしいピアノを奏でる彼女。
ちょうど誕生日だったので久しぶりにおめでとう、とLINEをした。
今でもバリバリ仕事をやって生き生きと過ごしてる彼女の職種はまさに『3密』の条件が重なる職種で現在、休業中だという。
そして彼女は1人でいる時間が長くて1日に1度はわけもなく涙する、と言っていた。
その気持ちが痛いほどよく分かった。
とても真面目で常識ある彼女はもちろん実家へ行く選択もしていない。
一人で自粛する道を選んでいる。
そんなLINEを読んで、私の方から
「明日にでもFaceTimeで話してみない?」
と、持ちかけてみた。
あまりこういう類のビデオチャット的なことに触れた事がなかったが、自分自身も1人でいる時間が辛くなってきて何日か前から親と数分だけでもビデオ電話をするようにしていた。
『顔を合わせて』数分話すだけでもとても気が楽になるのだ。
彼女もあまりこういう経験がないとのことで最初は二人してマゴマゴしながら話していたのだが、途中で彼女の誕生日を祝って一杯やったり、それぞれ好きなものを飲んだり食べたりしながら久しぶりの会話を展開していたら、気づけば4時間経過していたのである。
驚いた。
やはりただ声だけで電話するのと、実際に顔をみながら話すのとでは全く違うと初めて分かった。
もちろん実際会うのとはまた違うが今、この時、とても有効な孤独脱出術だと実感した。
電話を切る時、彼女もすっかり笑顔になりお互いに今日1日を良い風にしのげたね。と言い合った。
毎日、1日をどう凌ぐかそればかりを考える。
就寝前に明日はどう凌ぐかを頭で計画している。
そんな日々だ。
一方昨日、同じ住居内に住んでる人の中で人を集めて騒いでる家があった。
夜中その集会が終わったらしく大声出しながら居住内全体に響き渡る声でガヤガヤ帰っていったのだが軽く10人以上はいたと思う。
マスクをつけてる人なんてもちろん一人もいなかったように見受けられた。
今のこの緊迫状況でさえ、相変わらず何も考えずにこういう行動ができる人を心から軽蔑している。それがわさわさ同じ場所に10人以上も集まるのだ。
『類は友を呼ぶ』
とは本当によく言ったものだと思う。
こんな人たちが存在するのだ。足並みなんか絶対に揃いっこない。
そんな集団を見て、今日ビデオにて会話をした彼女。
実家に帰ることもきちんと憚り、外出も控え1日1回は1人で泣いてしまう、と言っていた彼女をぎゅーっと抱きしめたい気持ちになった。