私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

38、永遠はない

毎日願う。愛犬の命が一日でも長く続くように。

私の命をできる事なら存分に分け与えたい。心からそう願う。

 

高校の頃、私の通う学校では学園祭にそれぞれのクラスで有名なミュージカルを自分たちで脚本をそして構成や舞台まで全てをアレンジし演じてそれを争う、そんな行事が存在していた。

これが結構全国的にも有名な行事でそこから本場のミュージカル俳優を目指す人も出るほど真剣に執り行われるものだった。

 

高校3年の最後の年に私のクラスは今でも上映されている有名な『ミス・サイゴン』をやる事になった。

歌うことが大好きで当時このミュージカルの主役『キム』を演じていた本田美奈子さんの歌に魅了されたこともあり、どうしても挑戦してみたい!と、この『キム』役をやらせてもらう事になった。

ベトナム戦争の中で生きてくために兵士の相手をする仕事につくキム。その中でアメリカ兵との一夜の恋で『ブイドイ』と呼ばれてしまう子供を宿し、そのアメリカ兵は本国へ帰ってしまう。

苦しい戦況下の中でもこの子供のために奮闘する日々。そして何とかアメリカ人の血を引いてる我が子をアメリカへと逃れさせたいと考え、歌うこの『ミス・サイゴン』の代表曲と言ってもいい歌がある。

 

『命をあげよう』

 

という曲である。

もうこの題名で既に全てを訴えているわけだけど、自分の子が生きていくためならばこの命をあげてもいいという歌を全身で訴えるのだ。一番最後に

 

「お前のためなら、命をあげるよ」

 

と言い放つ。

 

高校生という青春真っ只中にいた当時の私にとっては、当たり前のことだがこの歌を必死に歌い上げる事が一番だったし意味も漠然としか理解していなかった。

親と言うものは噂通り、こう言う感情を抱くものなのか。と感じただけだった。

 

恵まれた事に沢山の愛情をもらって育ててもらった私は、母が自分のことは『さておき・自分よりもまず娘で』動くことが不思議でならなかった時期もある。

これ、私だけが食べてもいいの?とか、私が先にいいの?とか、小さい事でも。

自分の欲は後回しが当たり前な母の事を凄いなぁと感じ始めたのは恥ずかしながら成人し、世に出て様々な人に会うようになってからだった。

 

こんな事を感じ始めた頃から、きっと私は『親になりたい』と言う感情が漠然としたものからはっきりとした願望に変わったように思う。変な言い方をすればそう感じれるようになりたかったのだ。

 

まぁ、今現在私は自分のお腹を痛め生み落とした親にはなれていないわけだけど、お空へ行った3人の子供たちが逝ってしまったかもしれないと診断された時も

 

「どうか私はいいからこの子を生かして欲しい」

 

と願ったのは嘘じゃない。

生きてこの子たちはこの世には生まれることができなかったけどその気持ちを一瞬でも私に教えて行ってくれた。

 

そして今、四六時中くっつき虫な我が子のワンコにもこの温かい心をもらえた。

絶対に先へ逝ってしまうであろうこの子。

できることなら私の命をあげたい。

この子が幸せになるためなら何でもしてあげたい。

 

と言う私の知り得なかった新しい感情を強く暖かく教えてくれている。

 

『親になる』

 

とはどういうことだろう。

またそれも再び考えるようにもなった。

 

けれど、今この膝でゆっくり呼吸をしてるワンコに

命をあげたいと心から思う。