私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

20、終わらない

その後も、体調の絶対的な回復はできていない。

心の方も、ちょっとした事がきっかけで暗闇くんと対峙する事になりその度にこのしんどい繰り返しが永遠に続くのかと考える事がその精神状態に拍車をかけた。

心療内科に通い始めたのは、如何にもこうにも思うように物が食べれなくなってしまい、生理が再びストップしてしまってからだった。今からもう2年前になる。

しかも最初に行く事になった心療内科は1日でも早く助けて欲しくて『予約せずに行ける』という利点だけで飛び入り状態で深く考えずに選び、あまり親身には話をしないおじいちゃん先生。

とにかく、とりあえず「まずは。」ってなノリで薬を服用するようになってしまった。

元々薬というものが苦手だったのもあるし、もし今後またチャレンジする気持ちになった時にこういった精神的な作用をもたらす薬は体に残留する、なんて正しいかどうか分からない予備知識が入っていたものだから、その辺を力説して割と軽めのものにしてもらったのだが、初めのうちは『抗うつ剤』『安定剤』というものを体に毎日入れてる事に罪悪感というか嫌悪感を覚え、なかなか受け入れられなかった。

けれど実際に気持ちは穏やかになり『まぁ、食べられなければ食べなければいい』という気持ちになれる事で体調も少しづつよくなっていったのだ。

のちに鍼の先生や新しい不育診療科の先生にも言われた事だが、こういった時は臆せず薬に頼った方がいいそうだ。

嫌悪だけ示して我慢していたら悪循環。精神的に安定する事が全て。体を戻す事にも。また、子供を作ることへの恐怖心への対抗策としては必要なものだと言われた。

うまく付き合っていくべき方法らしい。

 

そして服用を初めて約一年が経ち少しづずつ調子が良くなってきた頃。このおじいちゃん先生に

「ちょっとずつでも減薬を考えていきたい」

と相談したら

 

「だったら、妊娠しちゃうのが一番早い。妊娠してからやめればいい。」

 

なんて事を、高田純次並みに適当に飄々とサラッと答えられた。(高田純次さんは適当な中にちゃんとユーモアがあるので大好きです)

思いっきり面食らってしまい、この元も子もない発言に今まで単に長い時間毎回待たされた上にただ薬だけ処方されていたんだなという事にハッと気づいた。

この、『気づいた』が回復の兆しなのではないかと思う。

 

現在は完全予約制の若い先生の病院に変え、しっかり話を聞いてもらえるし無理に薬を進めてきたりはしない。とても良い距離感で安心感のある先生だ。

 

これは偏見かもしれないが、やはり医者は若いに限ると思う。もちろん若いといってもまだ経験薄でこれから医者へとなっていくであろう若造、という意味ではなくおじいちゃんやおばあちゃんではない年齢の人。もちろん歳がいっていても新しい医学や論文、そういった物ををしっかりと持ち合わせながらやってる方も沢山いるであろう。

しかし、私が知る限りではやはりある程度歳をいった医者というものは自分の中の経験と知識に凝り固まってる節があり、また、新しい物事に触れていない人が多いように思う。特に地方の病院では全くもってあさってな薬を処方されたり何度通っても検査にもこぎつけてくれない年配医師に不安を抱いてる人を沢山知ってる。

実際におじいちゃん産科医師に『不育症』という知識がなかったためにその人には『血液が固まってしまう』(血液中の凝固因子)という不育の原因があったのにも関わらず2回も流産を経験してしまった人の話も近くで耳にした。

恐ろしい。医者に殺されるというのはまさにこの事だ。こんなの裁判ものだろうと思う。立派な加害者だ。その子供たちは生まれて来れる子たちだったのだから。

 

現在ではその信頼できる心療内科に定期的に通いながら体調を見て減薬したり戻したりを繰り返している。

しかし、実際には抗うつ剤と安定剤の服用は終わらない。久しぶりに闇の長い今期はまた少々多めに服用しないときつい。如実に息が苦しくなって全てが嫌になってしまうのだ。ちょっと前まではまたかわいいと思えていた小さな子供も悪魔にしか見えない。子持ちの知り合いには会いたくないといった闇っぷりなのである。

 

今なら完全にダークサイドへひきづり込まれる自信があるよ、パルパティーンさん。フォースはないけどな。(スターウォーズより引用)

 

きっと、もし次にまたこの私の体に命を宿してもらえたとしても不安と恐怖心は100%ついてくる。そこも私のような人は覚悟した上で臨まなければならないのだ。

そういう不安をずっと抱えて妊活を負けずに頑張ってる人をTwitterで沢山目にする。

それを目にするだけで心がグッと掴まれて『がんばれ』と念を送りたい気持ちでいっぱいだ。

 

私と薬たち、そして「不安」という心の脅威との長い長いお付き合いはまだ終わらそうだ。