私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

25、吐き出せない

最近では、私の周りはもっぱら第二子、第三子、が生まれ始めていて相変わらずSNS上にはその写真が日々溢れている。

 

以前は「結婚なんか」とか「子供なんか」とか言ってた人達でさえ親になり始めていて、なんだかんだ幸せいっぱい感をアピールし始めている。

私から言わせてみれば、虫のいい豹変にしか見えない。

私が30になるくらいの時に

「結婚して子供が欲しい」

と言ったら

「つまらなくなったもんだなぁ。」

なんて言われた事もある人でさえ、今は子供との日々をyoutubeで発信している。

まぁ、別にそれは構わないのですが・・・。

 

しかし心の暗闇くんは『はてさて、その幸せ感、いつまで続くかしら。ふっふっふ。』とどこか悪めいた気持ちも多いにあって、そのやさぐれ感が私の中で燃料の役割になってしまってもいるのだ。

母には、そういう子供を見て疎ましいとか劣等感を感じる気持ちが無くなってくれたら、と言われているが、それは正直難しい。

それをいかんとし、そんな事を考える所に赤ちゃんは降りてきてくれないわ・・・とも考えたこともあるが、その気持ちが私の性格上鬱に拍車をかけたのだ。

 

うちの旦那さんは割と物事はっきり言うというかどちらかというと口がいい方ではなく、どうかと思う事を結構辛辣な言葉で発することが多い。

以前経営していたBARではその性格がとてもうけていて繁盛していたものだ。

時にその言葉で『ちょっと!』と思ってしまうこともあるのだが、物事をうまく言葉にできず溜め込んで勝手に爆発してしまう私とは真逆のために、以前はぶつかることもあった。

しかし、今では私が周りに感じてる劣等感や苛立ちを代弁して口に出してくれているようなシステムが構築されているのである。

一向に道を開けないベビーカー集団や、子供が来るようなところではない場所でキーキー騒ぐ子供と親に対して。虐待の末死んでしまった子供のニュース。各病院での理不尽んな対応に関して・・・ここに書き記している私の嘆き、怒りに同調してくれるのだ。そして、それで構わない。むしろそうした方がいいと言ってくれるのだ。

 

『溜め込むな。吐き出せ。』の我が家のスローガン。

 

かつて子供たちが夢中になったブルース・リーの言葉のように私にはしっかり書き込まれ性格も少しずつ変わってきてる気がする。

 

嫌なことは嫌。ムカつくことはムカつく。

 

流産、鬱病を経験する前まで私の中には幼少期からどこか「いい子でいなければ精神」が強く焼き付いていて嫌なことや怒りに対して露わにすることなんて皆無だった。

泣くことはあっても、文句や愚痴なんて最も言ってはいけないし良くないものを引きつける、だなんてスピリチュアル的な考えを勝手に確立させていたのだ。

その辺、真逆の旦那のおかげでとても楽になった。おかしい、理不尽だと思う事を押さえつけず口に出すようになってからそれが燃料になり、こう言った文章にも落とし込めるようにまで復活したのだ。

 

こと日本人には我慢の精神がまだ染み付いている。

確かにそれが大切な場面も沢山ある。怒りや憤りをいちいち皆が外に吐き出していたら犯罪だらけの国になってしまう。

でも、しっかりとおかしいと思うことや自分の精神を脅かすような事柄にははっきりと物を言っていいのではないだろうか。

じめじめとネット上に書き込み吐き出すのではなく、自己防衛として意見を口にもう少しでも出せるようになれば、逆に良い事ももっと主張できる独立した国民性が構築されていく気もするのだ。

 

日本人がどこかまだ陰気で元気がない、と言われる所以はそこにもある気がしている。『我慢。忍耐。』

 

人と意味もなく語り合うこと、同じ経験をしている人と同調し合うこと、嫌だと思う事をきちんと主張する事、怒りを隠さず上手に吐き出す事、時には逃げるということ。それがこういった予想もしなかった苦しい経験を繰り返した場合、精神的自己防衛上、とても重要で一つも欠くことができない事だと私は今はっきりと感じている。

 

とにかく溜め込まずに吐き出す、口に出すことが何よりの処方箋になることは間違いない。

可能であれば勿論、良識の範囲内で(笑)