私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

63、幸せと感じない

不謹慎かもしれないが、今、妊娠してなくて。子供がいなくて良かった。

とどこか思ってしまっている自分がいる。

 

喉から手が出て、それも何本も出て、何メートルもゴムゴムの状態で伸びるくらい子供が授かりたくて仕方がなかった私だが、そして妊娠してもそれを継続できない身体である身ながらどこか客観的に見ると、今はそれで良かった。と思えてしまうのだ。

 

もしもようやく授かった子であれ、今まで自分に起こった事など夢だったかのように普通に授かっていた子が成長を遂げていたとしても。

今のこの世界に我が子が存在していたら心配で仕方がないだろうと想像するだけで、私の性格上恐ろしい。

 

まぁ、こんなビビりで弱っちい精神だから『親にしてもらえる』資格を与えられないのだろうか・・・・とも考えてしまう悪い癖も持ち合わせているのだが。

 

私が流産を経験するたびに旦那は

「どうしても納得できないから、何か意味があるようにしか思えない。」

と再三口にしていた。

 

私たち夫婦は

「これから日本はどんどんよくなくなるんじゃないか」

ということを今のコロナの事以外にも世界情勢的にも日本経済的にも多方面の角度からよく話している。

守られてきた物事が私たちの世代でギリギリ、終わりを告げる気がする。

 

今のこれからの子供たちはとても大変な思いをする事になるだろうとも感じる。

それくらいの危機感が現在の日本迫っていることは様々な情報をいろいろな角度から偏りなく入れていても気付かされるものだ。

 

だからその辺の危機感がない、世に言うお花畑の人たちの事も理解ができないし、それを露わにしない政府はそりゃあ思い切ったことをしようにもできないであろう。

どん詰まりだ。

 

ほぼほぼ大変な状況を強いられる世の中に苦労に苦労を重ねてまで自分の子を産み落とす必要はあるのか・・・

という所までこのコロナに苦しめられている世界を、そしてそれに直面している近隣の日本の人々を目にして思うようになってしまった。

 

『子は鎹』

とよく言う。子が鎹として夫婦をつなぎとめるのだろうと言うのは理解できる。

一緒に子を育てていく事でそこにしかない絆が生まれていくからだろう。子のいない私には学びたくても学べない事だ。

 

しかし、

『子を鎹』

にしてる人も多いように見える。

そしてお国自体もそうさせようとしていると強く感じる。

 

子を鎹に世をつなぎとめていこうと考える前に、充実させなければさせない事。きちんと決着をはっきりとつけて行かなくてはならない事がこの国には山積みだ。

だから『幸せに感じる』ランキングがどんどん世界の中で下がっているのではないだろうか。

 

全てを嘆いてこの国を叩いているのではない。日本には日本にしかないもの、できない事が沢山あるし自分自身も日本人として生まれてよかったと強く思う。ものすごく恵まれてると思う。

 

しかし、元々長きにわたり鎖国をしていたこの島国は『頑固』な面と『流されやすい』面がちぐはぐな為に情報社会となった今、物凄い岐路に立たされてるのだろう。

 

うーん。

けれど、私には『自分の子供を産み親になるチャレンジをする決断をする』タイムリミットがある。ずーっと探っては具合が悪くなったりこのような世界的未曾有の災害が起きたりする。

 

「御先祖様が優秀すぎるか心配性すぎるのかね?」

と、ユーモアを取り入れながら私たち夫婦は迫るタイムリミットの中日々を生きています。