私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

70、飲めない

実はこの歳になるまでコーヒーが飲めなかった。

ブラックはもちろんただただ苦い。

そしてカフェラテ的なものを飲むとどうにも気持ち悪くなる確率が高くて自分にはコーヒーが合わないと思い込んでいた。

 

息子犬が我が家来てから、まだ散歩ができない赤ん坊の頃から抱っこ紐に入れて色々な『ペットOK』のカフェに行ってゆっくりする時間を持つようにした。

そのおかげで猫並みに、いや、猫以上に座れば必ずや走って膝に乗ってくるべったり膝乗り犬になってしまったのだが、そのおかげでどんなお店に行っても、膝の上にさえいれば全く動きもせず何ならいることさえ気付かれないくらいに大人しくできる。

そんなこともあって、この子を連れてカフェに行く事が増えた。

また、歩く事自体より人に愛でられる事に満足感を得るらしい彼自身もこうしたお店に行きたがって仕方がない。

 

たまたま現在住んでる家の近くに朝からやっている、『コーヒーがうまい』と噂のしかもワンコOk・Wifiまでしっかり完備してるカフェがある。

初めてここに入ったときは、数少ないワンコOKのカフェだという事で紅茶でも飲むかとふらっと入った。

当たり前のように店の売りはコーヒー。

しかも店中にコーヒーのいい香りが充満している。昔から香りだけは好きだった。

毎朝、両親は二人してコーヒーを入れて飲んでいた。その光景や香りにはずっと小さな頃から憧れたものだ。

 

「ちょっと気持ち悪くなってもいいか」

と、こちらのカフェラテを豆乳に変えて飲んでみた。

 

 

「うまっ」

思わず声が出てたかもしれない。

 

絶妙な苦味と酸味、豊潤な香り・・・・とか云々はもちろんわからないし上手く解説ができないのだがとにかく「美味い」と一口目で感じたのだ。

ものすごく寒い朝の日。この暖かいコーヒーに包まれてものすごくあったまった。

 

この時思い出したのである。

同じように初めてビールを『うまっ』と感じた時のことを。

 

20代前半に友人と行ったかんかん照りの海。死ぬほど暑かった。

そしてシャワーを浴びた後、びっくりするほどキンキンに冷えたビールが出てきた。

藤原竜也なら床に顔をつけて絶叫だ。

 

「うまっっっっっ!」

 

これがうま過ぎて、世の親父たちがかぁ~っと言ってる喉越し的なものを初めて理解し、すっかり『とりあえずビールで』派になってしまったのだ。

今も家事全般を終え、プシュッと開けたビールをゲームの電源をつけて1日の終わりを迎えるのが至福の時だ。

 

そのコーヒーが絶妙に美味いと感じたカフェに行くようになってからすっかり、PC作業をする時間には片手にコーヒーがないと落ち着かなくなってしまった。

しかしまだ、憧れのブラックにはたどり着けていない。

 

ワインと一緒で好みの豆的なものに出会えたら、ずっと子供の頃から眺めてた両親の朝の光景のようにブラックを飲んで「ふぅ」と一息入れれるようになるのだろうか。

憧れるわぁ・・・。

 

新しい発見は無限にある。まだまだ五感にビビビと来る世界が沢山存在するのだろう。

色々なものを嗜めるようになったら、行ける世界が少なくても見える世界は広がるんだろう。

 

と、外出ができない今、考える。

この機会に何か家でしか出会えない新しい世界を見つけたいと思う。

 

「かぁ~~!」

と言える事がもっとあれば豊かになる気がするのだ。