私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

93、理解できない

久しぶりに過呼吸になった。

何日か前から兆しはあった。

産休に入ったと言う友人が「子供が生まれたら沢山絵本を読ませたい。」

とSNSで発信していて、もちろん初めは「うっ」と思ったわけだが気持ちがその時少し落ち着いていたこともあり、素直に『羨ましい』と感じる方が強かった。

 

私も結婚をして生まれてくるであろう子供を夢に見て、元々好きだった絵本を『これは読ませたい』『これはちょっと違う』と整理をして置いたままになっていた。

明るい未来しか見えなくて楽しみでワクワクしながら仕分けした思い出がある。

 

だから絵本の話はとってもとっても羨ましいと思った。

 

そして既に覚悟している出産報告、妊娠報告の第二波第三波より先に違う事故にいきなり巻き込まれた。

ちょっと久しぶりに集まりませんか?的なグループラインが発生し私も招待された。

そっか~、集まるのはいいけどまだ時期的にどうかしら、彼女らには子供もいるわけだし・・・・なんて普通の事を思い、どう返信しようか考えながら眺めているとその中の現在『妊娠後期真っ只中の子』と現在『お子様産まれてもうすぐ一歳育児って大変だわ』の子の話がそれはまぁ止まらない。

ピロンピロン。

 

こんな時期だから当たり前のように妊娠中の子を気遣い、そして育児中の様子を逆に訪ねては気遣い、そこから今度は洋服のおさがりいる?やら、アカチャンホンポがなんとやら、女の子かぁ~やら、もう私にしてみれば

 

『ピーーーーーー』

の放送禁止用語羅列でボッコボコにされてる感じだった。

この二人にも、私はきちんと私の状況・私の体の事は話してあるのにだ。

 

「あのー、私もここに呼ばれて絶賛参加中ですよー」

と思いながらももう返信する気もなくなるくらいの内容になった。

原因もわからず、それでも身体の問題で、ある意味「障害」を抱えてる人がいる前でわざわざ話さなくても・・・・となんだか苛めにあってる気持ちになってしまい心が塞がってくのを感じた。

物凄く悔しくて、そして長い付き合いの友人だったからこそもの凄く残念で、なんとも言えないモヤモヤの中一頻り泣いた。

またこうして友人を無くしていくのだなぁと切なくも感じた。それは私自身の問題なのも重々承知なのだが・・・。

 

その中にいた、唯一全てを知っていていつも一緒に泣いてくれてた親友はどうやらすぐに気付き、途中で個人的にメッセージをくれた。

それに救われた。

持ち前の『気遣い屋』を捨ててここはすっぱり脱退しようと思った。

一言書き添えてそのグループから退出した。それで彼女らが気付こうが気付かまいが、しばらくこの人たちとは距離を置こうと決めたのだ。

 

女って本当にめんどくさい。

こう「自分の環境や感情で急に態勢を変えるからなかなか女性の社会進出が難しくなっちゃう」と旦那は言う。

確かにそれは一理ある気がする。

よくも悪くもすぐに変われる。豹変し、今までとは真逆の人に謙る事だって結構容易だったりする生き物だ。環境の変化に順応しやすい。別れた相手の事は男性よりも割とある日いきなりコロッと忘れて大嫌いにまで変化する。

恐ろしいものだ。

男性が『女はわからん』と言ってるのがよくわかる。

男性の方がとてもわかりやすい。これもまた、良くも悪くも単純だからだ。

 

夜、気持ちを切り替えようとゆっくり呼吸をしてベッドに入った。

楽しい事を考えようと下らない映像を見て脳みそに消しゴムを使用した。

 

過呼吸になったのは次の日だ。それはまた別に書こうと思う。