私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

27、落ち着かない

話はまた現在に戻るが、実はちょっと、いや、だいぶ困った近隣トラブルにて引越しの準備をしている最中でもある。

2回目の流産をし、その記憶が染み付いてしまったために1度目の引越し。

そしてその先のマンションも住んで一年半ほど経った頃に売却する方向になったので購入もしくは退去をと勧告されイソイソとまた引越し。

ようやく見つけたか?と思えた現在のマンションも上階の夜中の騒音があまりにも酷く(かなりのパーリーピーポーなのか夜中3時頃にいきなり暴れだす輩が集まる場所になっている)私のうつ病は今までで一番酷い状況となり、適応障害というものまで併発してしまった。

何度も言うようだ人間は睡眠が一番。眠れないと言うのが一番身も心も壊れる。

食べれない、よりも人の細部まで細胞という細胞を壊してくる。

この症状をよくするには一刻も早くその場から離れること。と医者には言われた。

 

そんなこんなで約2年半の間に三回もの引越しをすると言う重労働。おかげで荷物はだいぶコンパクトにもなり、一通りの手続きや流れも慣れたもんでその辺はこんがらがる事はない。

ただものすごいスピードで内見をこなし、契約云々のやりとりから、引越し業者の見積もりや各ライフラインへの電話連絡・・・・・超絶的に疲労するしその数ときたら半端ない。今日日、なんでもネットやらレスでこなせる時代に何故一気に楽々と変更が行えないのか。

 

今回も旦那と何軒か内見をする中で完全に『家族コミュニティー』が出来上がってるとわかったマンションがあった。

きっと子持ちのファミリーにはとても住み心地の良い治安の良さげな場所だ。

しかし、私のような立場の人間にとってはもっとも息苦しく肩身の狭い思いをするであろう場所。エレベーターの中もお稽古帰りの子供とお父さんが乗り込んできた。内見を終えてドアから外へ出ると隣のファミリーが女の子とともに「こんにちは」と挨拶をしてきた。

私の中では最早『羨ましい』と言う気持ちよりも『違う人たち』と言う認識という感覚の方が強い。

決して心の中では完全に諦めきれていない『親にになる』という事も、どこかものすごく遠く難しく、そしてもしうまくいったとしても、普通に妊娠をし普通に出産をしている人たちとは『違う人たち』と考えてしまうだろう。

でも、今はそれでいいと思ってるし当たり前だと思うのだ。それが私のプライドなのだ。その人たちとは違う経験を経てその人たちには到底味わうことのない苦しみや哀しさ、孤独感、劣等感。そこから学んだ大切なこと。そのお陰で出会えた人たち。そのお陰で気づけた様々な人の心。

かつて繊細であることに苦しんだ私がその性格に感謝できるようになったのは最近かもしれない。

 

そして前述したように両親からもらった超負けず嫌いの精神。今例えば私が就職活動中で、私自身の事を一言で表現しろと言われたら間違いなくこうだ。

 

「繊細な負けず嫌い」

これでいい。これで苦しんだ事もあるがこれで得たものが沢山ある。

 

さて、ファミリー向けのマンションの話。昨今ではお一人様向けマンションは多くできていて購入している人たちも周りに何人かいる。

自分のスタイルに合わせた住まいがもっとできて欲しいものだ。ファミリー向けのマンション。お一人様向けのマンション。

そして子ナシ向けのマンションというのはいかがだろう。お一人様をバカにしているわけではない。私はどちらかというとそちら側の考えが強いし一人で人生を楽しんでいるのはとても素敵だと思うからだ。

正直、子供を望まなかったら結婚も望まずに今の旦那とも事実婚状態でいいと思ったはずだ。

私の思う子ナシマンションというのは、それなりに歳をとってきたが静かに夫婦二人で暮らしたいという単純なニーズを生かしたマンション。分譲となれば年齢を何歳以上って区切ってもいいかもしれないし、賃貸であるならなんなら子供ができたら退去でもいい(笑)

私の父は昔から小さな子供の騒ぐ金切り声や泣きわめくサマがとても苦手で子供の多い場所を割と毛嫌いする人だから、こんなのがあったら物凄く喜ぶと思うし、そう感じている夫婦は口に出さなくとも結構沢山の存在している気がするのだ。

そして、私の特に仲の良い友人の中に二人、大好きで尊敬しているゲイの子たちがいるのだが、暮らしというもので苦労してる話を何回か聞いた。そのうちの一人は海外のパートナーと婚姻関係を海外で結び日本で暮らしているのだが始めは住んでいたマンションの近隣から訳のわからない嫌がらせを受けたとか。

 

恥ずかしいよ。ニッポン。まじで。遅れすぎだよ。鎖国的ニッポン。

 

そんな人たちをひっくるめて夫婦でゆっくりシェルター的暮らし。これがあったら今すぐにでも飛びつきたい。

 

多様化していく日本・・・・・・。正直、そんな事ちっとも感じない。

きっと色々な方面でマイノリティーと言われてしまってる人たちは同じように言うだろう。全く住みよくない、古いよニッポン。(何度でも言う)

 

とにかく落ち着く根城が欲しい。購入なんていったらこんな状況じゃ怖くてとんでもない。賃貸じゃないと逃げられないのだ。

 

なんだか、逃げてばかりいる気にもなるのだが尻尾を巻いて逃げてる気持ちではない。

逃げるが勝ち。自分にとって心地よい場所。心地よい仲間。それを探すのは当たり前だ。ぐっと堪えて我慢をしなければならない場面を極力少なくする方が、生きていく上では確実に有利であるように思う。だって、病気になりにくいはずだもん。

 

我々夫婦はよく、道を歩いてる時にぶつかりそうになる瞬間に遭遇するが、

「だいたい避けるのは自分たちだ」

という話をする。

互いに譲り合ってあ~あ~ってなってジャンガジャンガ状態になるとこなんて稀で、そんな人に遭遇するとなんだか親近感さえ抱くものだ。

周りを気にせず我をと生きてる人はきっと病気にならないよね~なんてちょっとした皮肉をよく語らっているのだ。

まぁ、『羨ましいけどなりたいとは思わない』。

きちんと人の気持ちを推し量って譲ったり俗にいう空気ってやつを読む人間でありたい。というか、そういう人がいるから世の中成り立っているのだとさえ近頃は思う。

 

空気を読みすぎて過呼吸になったりする経験は私もあるので、そんな人を遠くからでもギュ~っと抱きしめたい。