いつもの流れと変えて今日は少しタイムリーな話題について思う事があったため、綴ってみる。
今更の話になってしまうが「コロナウィルス」なる新型肺炎が予想以上に蔓延してしまっている。日本の遅い情報の中にいるとはいえ、これまでの事をかき集めて考えたらどうにもただの新型ウィルスとは考えにくい。
作られた生物兵器であるかは勿論定かではないが、もう大きすぎる多すぎる何かが国単位、世界単位で水面下以下の下の下の地下組織で行われているようで日々恐ろしい。
こうもなってくると、人間、どこの国の人だろうが、性別はなんであろうが、何歳であろうが、何の仕事をしてようが、結婚してようがしてなかろうが、子供がいようがいまいが夢があろうがなかろうが『命そのもの』を知らないところで転がされてる感があってずっと心地が悪い。
転がしてる側の人たちはそりゃーもう最早人間ではない。
再三『絶対的な神はいない』と思ってきた自分だが、『悪』は人間の体を借りて存在してるように思う。それも沢山。
パソコン一つで世界と繋がり、お金をも生み出すような事が当たり前になってる今。『自分らしい生き方』とはなんだろう。
とまた今、考える。
『楽しみに思える事』『笑いがある場所(愛想笑いは無しですよ)』『感動で心を震わせられる事』『新しい発見に細胞がわさわさと騒ぐ瞬間』『ここだけは安心だと、深い眠りにつける場所』をいかに多く作り出していくという事だろうか。
実は何かにストイックに取り組んでる人よりも、ただ『お酒を呑みたいからお金を稼ぐ』みたいに端的に日々を生きてる人たちの方が幸せに見える時が私には多々ある。
大きな願望や夢は人を飛躍させてキラキラと輝かせるだろう。
それに向かって生きている時はとにかく人間の細胞は活性化され進化をし、脳内からはいろんな物質が分泌され毎日が前向きで輝かしく見えるものだ。
でもそれが辛くて曇っていく事もある。
『自分にはこれさえあればいい』
というものがある事がひいては自分らしい生き方なのではないかと最近は思うようになった。
勿論小さな願望は腐る程ある。それこそ神ではないのだから煩悩なんて腐る程ある。
だからこそ煩悩の集積所みたいになってるネット上を垣間見て、時に気持ち悪くなることも実はあったりする。
人は疲れたときに都会や機械的な所から離れて自然あふれるところへ「逃げたい」と考える事が多い。
ものすごく矛盾を感じるが、それは仕方のない事だ。
自然を壊して利便さを一番に機械的になった地球。
でも結局は自然に助けを求め、エネルギー補給をしてもらう。
この繰り返しなのだから止まらない環境破壊はただただ逃げ場を失って行ってることに恐怖心を抱く。
ついには地球がやばいから今度は宇宙に逃げる、なんて考え出してる金持ちも沢山いるくらいだ。
このコロナウィルスがもしも本当に人が作り出した生物兵器ならやっぱり人間はクソだ。人間の形をしてる悪はやはり、スターウォーズのダークサイドの人間のように驚異的な力を持ち合わせているのだろう。
立ち向かっても、映画のように勝てる見込みは限りなく少ない。
自分の身を自分で守りきれなくなってるから、世の中が何色ともない混沌とした状態になってる気がする。
信じられるもの、絶対的な宗教がないこの日本で『カテゴライズ』したがって生きていくのはやはり仕方ないことなのだろうか。
一人では生きていけないのが人間だが『個々として』ただそれだけでもっと人と関わり合いたい。
それができるのは今のところ、ベロベロに酔っ払ってる時だけだ。
(だからと言ってヤヴァイ薬物はダメ、絶対w)
少し話は違うけど、自分一人で大きなカテゴライズから抜け出すことを決め、あのような会見を見事にこなした中居くんはやっぱりすごいなと思ったこの頃であります。
『のんびりな会』
いい名前。