私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

54、涙は出ない

2人目の子がお空に行った3月になったので、休みの日に前述したその当時に住んでいた近くにいた水子供養のお地蔵さんにご挨拶に行った。一人で行く時もあれば、旦那と行く時もあって9月・11月・3月の恒例行事になっているが今回初めて陽気もいいし息子犬も一緒に連れて行くことにした。

車で向かい、ワンコ用の抱っこバッグに入れて出向いた。

 

お菓子とお線香を持って行く。

そこがお墓と言うわけでもなくそこにいないのはわかってるが、心の中でその3人の子供を抱いているお地蔵さんにお空に行った子供たちを『お願いしてる』気持ちでいるので挨拶に行くのだ。

1回目の流産、そして2回目3回目と続けて行くうちにここに来る度に涙が止まらなくてしばらく旦那に宥められてた時期も沢山ある。

 

すっかり春でそのお地蔵さんの前には綺麗な桜の木が立っており、周りの木に比べると少し早めに桜の花がパァ~っと包み込むように咲き誇っていた。

 

こんなに綺麗な桜の木があったことに4年目にして初めて気づいたのである。

心に少しだけど余裕ができたのか、この愛しい息子犬を連れていたからなのかはわからないが、いつもよりとても美しい場所に見えたのだ。

 

水子のお地蔵さんに近づく前に息子犬が『キュン』と小さく一度だけ声を出した。

 

思い込みかもしれない。いや、思い込みなのだろう。

『泣かないで、ここにいるよ。』

と言われてる気がした。

 

この子には、泣いてばかりいた私を元気にする使命があるのだろうなと日々感じる出来事が沢山あるわけだが、お空に行った子たち含め大事な人たちの魂が少しづつ宿って降りてきてるとも思うのでその偶然は偶然ではない。そう感じた。

 

手を合わせて

「もう4年ですね。どうぞこの子を引き続きお願いします。」

と伝えた。2人目の子はどこか心を置き去りに心を亡くしながらサヨナラしてしまった所があるので今、逆に思い出す事が多い。

 

当たり前に色々な感情や記憶がいつも通りこみ上げてきたが、初めてかもしれない。

涙は出なかった。

 

春の訪れに気持ちが開けるような心情に似ていてなんとなく穏やかな気持ちの方が大きかった。

月日というものはこうやって流れて行くのだろうか。

 

人はこうやって月日を巡っては少しづつでも気持ちに『変化という折り合い』をつけて生きて行くものなのだろう。

 

それでもこの子たちに会いたい、会えなかったという悲しい気持ちは無くならない。

 

きっと死ぬ瞬間まで私にはこの子たちの魂が頭に、心に、焼き付いてるのだろうと思う。

それはきっと、『会えなかった』からだ。

 

でもこの場所が「悲しい」だけの場所ではなくなった事がどこかとても嬉しかった。

 

今年も春がやってきたのだ。