家にいる時間、テレビもずっと同じ事ばかりをやっていて見る気もしない。
PCを弄りながら音楽をかける時間が普段より長くなった。
時代は進んだもので、高校の頃、
「96年summer」とか「97年winter」とか自分で揃えてきた音源を当時はMDに自らプレイリストをそれはまぁまぁな時間をかけて作っていた。
もっと前にはA面からB面に行くところでは否応なく音が途切れるという何ともいえない暗黙の了解のもと、カセットテープにも落とし込んだものだ。
少し前にまたこのカセットテープ熱が再燃してたらしい。あの懐かしい感じとレコードとCDの間のアナログ感がたまらない気持ちは何となくわかる。
それに比べ、今はピッとボタンひとつ押せばAI氏が自分の好みを選択し勝手にDJしてくれる。すごい事だし、たった20年ほどでこんなにも世の中は変わるのか・・・・と痛感する。しかもそのAI氏は勝手に学んでってどんどん優秀になる。
少し前は、ちょっとあさってな選曲をしてきたりして、それがちょっとツボにハマったり逆に発見を生んだものだが近頃はその頭脳が優秀すぎてか、ピントポイントで自分がMDにまとめていたように好みの曲を流したりするからありがたくも何となく面白みを感じなかったりもする。
それでも自分の心にズキュンとくる曲が流れると、何ともいえない『あまーい気持ち』になったりするものだ。
音楽はやっぱりすごい。
嗅覚や視覚や触覚や様々な感覚を生きる中でその時代、その時を彩っていた自分の中の主題歌やBGMはいつ聴いても一瞬にして心をタイムスリップさせる。
元より『音楽の聞き方』が割と『思い出』と寄り添ってる私はちょっとした音の変化で過去の喜怒哀楽を余計に感じやすいが、こういう『音楽』が大好きでそういうものが作りたくて音に携わる仕事がしたいと思いその道へ進んだのだ。
そんな今は片隅で『Holeの Celebrity skin』が流れてる。
自分がバンド活動を始めた頃の曲だ。シドとナンシーまでにはならなくとも、コバーンとコートニーのカップルに沢山崇拝者がいて、音楽の世界の中のカップルって素敵よね。なんて髪の毛を脱色してはおかしな色にしてた日々のことを思い出す。
高校時代の仲間とは、20代の頃よく酒をかっくらってカラオケに行っては、それぞれに染み付いてる思い出の曲を当たり前のように歌い毎回感慨に耽けたり、アホなほどに盛り上がったりしてた。こういう所、気の合う仲間だった。
私は初めて高校の学園祭で人前で歌った曲が今井美樹の『PIECE OF MY WISH』だったのでいつもよく歌ってた歌わされてた。後なぜか中森明菜の『飾りじゃないのよ涙は』を・・・。
そしてそのカラオケの最中に懐かしのLe Coupleの『ひだまりの詩』をたまに歌ってた私に友人の一人が
「これはなんか思い出があんの?たまに歌ってるけど。」
と聞いてきた時がある。
この曲はもう今でも聞くと恥ずかしいくらいにピュアな気持ちに巻き戻るヤヴァイ曲だ。
高校生の頃それはもう当時の力では限界と感じるほどに頑張って告白して付き合った一つ上の先輩とイヤホンを片方ずつ付けて聞いた思い出があるのだ。
その後、高校生あるあるだが付き合いなんて『月単位』。あっという間に終止符が打たれるわけだが思い出と曲が耳に直接インプットされすぎてて怖いくらいの洗脳ぷり(笑)。どわ~っと短かったのに当時は濃くて仕方なく感じたその何ヶ月かの事が一気に脳裏に湧き上がる。
その友人には
「あーそれはすごいわ。淡いわ。残るわー。」
と言われ、その場でビールを一気に飲まされたものだ。
誰しもいい思い出なり悲しい思い出なり、染み付いた音楽があると思う。
音楽、ましてや「曲」の良し悪しはそれぞれの生きてきた道が違うようにそれぞれが持ち合わせてるものだ。
だから特にこの音楽を0から作る仕事をまがりなりに一瞬でも携わった自分には音楽を生み出す難しさがよくわかる。
だからどんなアーティストに対してもリスペクトの気持ちがある。
思い出に染み付いた音楽はどんな洗剤でも決して落ちない。
すごく素敵な事だ。
心が動く、動かせる一番身近な『楽』である。そしてそれぞれの思い出のアルバムになる。
最近では、official髭男dismが作る音楽がすごいと思う。
歌詞も曲展開も、そして人の心を掴む『キュンどころ』をしっかり解りながら盛り込んでいる。
きっとこの人たちの曲をのちに聞いて淡~い気持ちになる人たちが沢山いるのだろう。
新しく音楽が生まれてる限り、世の中は大丈夫だ。
あ、今YUIの『CHE.R.RY』をうちのAI 氏は流しましたよ。
キュンキュン。あー、思い出します。
あの日、あの時の、気持ち。