二度目の妊娠はその一度目の子を手術でサヨナラした半年後。
その時の先生には一回目の流産後
「次は絶対上手く生きますよ」
と言われていて、流産することも実はそう珍しくないと知識に入れた後だったので(このこと自体やはり経験のない人、ましてや男性なんて絶対に知り得ない情報だ)気持ち的には不安よりもまだ期待の方が大きかったように思う。そしてその先生の『絶対』という言葉を信じ切っていた。
恐ろしい言葉だ。『絶対』って。
言ってくれるな。絶対なんて。
椎名林檎の歌詞にあったな。
「あなたはすぐに絶対などという、私はいつもそれを嫌がるの、だって冷めてしまえばそれすら嘘になるじゃない」
絶対なんてこの世に存在するのかしら。
ただ、何かを説き伏せ言いくるめるための言葉にしか思えない。それを医者が言ってくれるな。言ってはいけないのではないかな。
そう。期待なんてものは大体上手くいかないことの方が多いものだ。妊娠率、流産率、出生率、確率論ばかりで埋め尽くされた当時の私は
「あー、また低い方の確率ひいたのね。いつものことだ。」
とほんの少しだけ動き出した鼓動を止めてしまった我が子のエコー写真を再び大股広げて眺めている時、どこか冷めた血の通わないもう一人の自分がいて、必死に感情を押し殺そうとしていた。
その時の情景や音楽や空の色は覚えていない。
脳みそは時に便利なものでその先を超えると記憶を消すという機能まで備わっているようだ。
洗い流すだけでいいのに。消しちゃうから後で理由もわからずに苦しむというのに。
お空へ再び帰ってしまったその子にも自分だけが知っている名前がある。今でも名前を呼んで話しかけたりする。
この子には血の通ったママとしてサヨナラしてあげれなかったからかもしれない。
命のないその子がお腹にいることが苦しすぎて私は早く離れたかった。手術後の朦朧とした中で先生にだか旦那にだかわからないけど、
「ごめんなさい、ごめんなさい。」
と口が勝手に連呼してたことだけ覚えている。
それはきっとこの子に言っていたんだ。
早く離れたいなんて思ってごめんね。ごめんね。あの時、私の中に来てくれてありがとう。すごく心から嬉しかったんだよ。本当だよ。