私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

12、分かち合えない

早急に引っ越しをし、バタバタしていることで少し気が紛れる時間が持てたことでまあまあ悪くない日が続いていたが、作業が落ち着いてひと段落した瞬間にまたすぐ暗闇くんはノコノコとやってきた。

暗闇くんを意識したのはきっとこの時が初めてだったと思う。ものの2ヶ月弱で戻ってきたやつをはっきりと認識した。行ったり来たりする何かがいると。

 

子連れの人とすれ違いそうな時、ゾンビゲームでもやってるような感覚でハッと道を変え、また出てきやしないかとヒヤヒヤしながら歩く。ベビーカー集団なんてボスレベルの危険地帯だ。地図上なんて真っ赤な危険地帯だらけである。

疲労と恐怖は積み重なり孤独はどんどこ増していく。

 

そして続々と親へと任命されていく友人たち。

やはり何となく私の状況が察せられるようになってくるものなのか誘いの言葉がかかることも少なくなった。そりゃ子連れの集まりにはこっちからだって行きたいとは思わないけどさ。そうだよね。誘いずらいわな。逆の立場でもこの時の私を普通に呼び出すような心情にはなれなかったと思う。

 

そしてまたどんどこ孤独は増していった。

 

一緒にいてくれる旦那。疲れた体で帰宅すれば暗い空気感の家に帰ってきて、よく普通に接してくれていたと思う。愛情深い人かといったらちょっと違うかもしれないし、積極的にどこかへ連れ出してくれる付いて来いよタイプでもないけど、こういう時には本当に心地よい距離感でいてくれる人だ。とてもありがたい。

ただ、孤独感という穴ぼこに体育座りで座っていた当時の私。もう一つその孤独度を増幅させる要因があった。

 

一番の戦友である旦那には前妻との間に子供が既にいるのだ。

 

もちろん付き合い始めた時から、そして結婚を決めた時からそんなことは覚悟していてそれも含めこの人と生きていこうと決断したし、心のどこかでは自分にも子供が授かればきっと気にならなくなるだろう。とタカを括ってていたのだ。

まさかこうなるなんてもちろん想像なんてできるはずもない。

必死に私の心を理解しようとしてくれていた旦那に対しても私は

 

「いいじゃん。あなたにはもう子供がいるんだから。私の気持ちなんかわかるわけない。」

 

とずっと思い続けていたのだ。

一番の共感者、戦友でありたいパートナーと、3回も子を失ったことの悲しさ苦しみを共有しきれない事が苦しくて、私は本当に独りなのだと心底思う日々だった。

誰も悪くない。解決しようのない。怒りを向けようのない強固なストレスだった。

 

誰か。誰か同じ体験をした人と話をしたい。

そういう人を探したい。

話したい。共感し合いたい。

この苦しさは『異常』なことではないんだと自分に落とし込めたい。

誰か。助けてほしい。