不育症の一連の検査を旦那とともに終え、体の変調になんとなく違和感を感じていた日々。不育科の先生にも言われたのは
「やはり年齢とともに流産率はもっと上がってくる。できたらまた早くチャレンジした方が良い」
という話。
そしてそのまま、自分の体と心の声よりも先生の言葉に重きを置いてしまった。専門の先生だ。間違いない。急がなきゃ。急がなきゃまた同じ思いをする『確率』が増えてしまう。怖い。もう嫌だ。
急がなきゃ。急がなきゃ。
まるで宗教のようにその言葉だけを信じ、少し休んだ方が良いのではという家族の言葉にも耳を貸さなかった。貸せなかったのだ。
子供が欲しいと願いそれにチャレンジし、それでも何かが原因で躓き、上手く行ってない人たちには産科や産婦人科、専門の医師たちの言葉は教組からかけられる呪文のように重いものなのだ。何が正しいという判断が自分や自分に近しい人たちでは出来ないと思い込んでしまう。任せるしかない。ついて行きます。お願いだから私に子供を産ませてください。何でもしますから。
神に懇願できない分、全てをさらけ出している医師の言葉が一番になってしまう。
だから私は突き進んでしまった。暗闇くんや小さなおっさんさえも止めに入っていたのに。
そして3度目の妊娠をした。
専門の外来で大事に大事に見守った。
今までよりも長く私のお腹の中にいてくれた。
元気に動く心音をハッキリと見せてくれた。
愛おしかった。
今までと違う涙が流れた。
それを旦那にメールで報告した時。空は久しぶりに真っ青に奥深くどこまでも続いてる実感が持てて、心が踊ったのを覚えている。
でも怖かった。でも信じようとした。大丈夫。きっとここなら大丈夫。流石にもう大丈夫。
そして3度目の流産をした。
またお空に行ってしまった。
今までとは違う診察室で今までと同じあの冷たい真っ暗な空気感を感じた。
涙が止まらなかった。視界が滲んで拭う気にもならずただ先生に声が聞こえないように必死に抑えていた。
心臓が異常に早く異常な鼓動で打つ音が自分にもハッキリと聞こえた。
お腹の子供は鼓動を止めてしまったのに私の鼓動は煩いほどに脈を打っていた。
どうか逆にしてくれ。私はもういいから。とその時思った。
心が黒い穴に吸い込まれていく。
ハッキリとその感覚を味わった。
もう何も信じれない。
そんな私になってしまった。
どうして?
どうしてなんだろう。
息が苦しい。
いっそこのまま苦しいなら止まって欲しいこの呼吸ごと。この子と一緒に逝ってしまいたい。