私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

23、会えない

この3回の流産経験をした中で、良かったというか思いもよらず分かったことがいくつかある。

前述したように2度目の流産後、夜の耳鳴りに悩まされて耳鼻咽喉科に通っても結局わからずに『ストレス性』なのではないかと診断された時、一応一度脳神経科の方でも検査をしてみては?と言われ、生まれて初めて脳のMRI検査を受けた。

耳鳴りとは全く関係のないものだったのだがほんの数ミリの脳動脈瘤が見つかった。

この時から毎年経過観察をして大きくなっていないかを見るようになった。

不幸中の幸い?と言えることかもしれない。幸い元々血圧も高くないし痩せ型ということもあって、大きくなっていかない限り日常生活に問題はないが、もしも今後出産にこぎつくことができた時、普通分娩は避けたほうが良いのではないかと言われたのだ。

全くその段階にはいないのだが、たとえもしも出産する場へ昇進できたとしても普通には産めないっすよと言われた気がしてここでも静かにパンチを食らった。

 

もう一つ。初めの不育症検査で分かったことが、甲状腺機能低下症(橋本病)の因子を持っているということ。

通常の検査では甲状腺の現在の数値しか見ることしかできないが、この不育症検査の一連の項目の中に抗体検査というものがいくつか入っていて発覚したものだ。

現在は数値的には問題はないがその橋本病になる可能性がある。ということだ。

この時から海藻類、ヨードが含まれる物を摂取することは控えることとなり、大好きだった『都こんぶ』をもう3年以上食べていない・・・・。

ああ、愛しの都こんぶ。高校時代にはいつもカバンに潜ませていた都こんぶ。食べたい(笑)

また、妊娠すると女性の甲状腺数値というものはホルモンの変動と共に変化しやすいらしく私の場合は妊娠が分かった時点から早めに、そして細目にこの数値を見ていかなければならない。ただ、それが決定的な不育の原因であるとは言えないということだった。

ただ、この時からなりうる原因をできるだけ取り除いているので、これも不幸中の幸いなのか?早めに発覚した自分の病の一つである。

自分の体の変調に良くも悪くも敏感になりすぎてしまうようになり、排卵した瞬間や生理が来るであろう日には何時間か前に分かってしまう。そんなものわからない方が日常過ごしやすいといいのに。というより、普通はそんなものわかるはずもない。

自分の体の変化に敏感になるというのも考えものだ。小さなおっさんが沢山いる。

 

ある日、何気なく足をさすっていたら左腿のど真ん中にしこりがあるのを発見して急いで検査に行ったところ、早く取るに越したことはないと言われ手術を受けた。

無駄に手術慣れしてしまった私はとにかく早く異物を取り除きたくてささっと手術を受けたわけだが想像してたよりも痛く、術後もしばらく歩けなかった。

私のこの体不都合発見週間はいつまで続くのだ、と嘆きその時も暗闇くんと共に過ごし泣いてばかりいたものだが、思えば身体を見直して綺麗に、そしてこれから元気にいるために。お空へ行った3人の子供たちが教えてくれたのではないかと思った。

思って泣いた。私を守ってくれるために宿ってくれた命だったのだろうか。だとすれば悲しいけど辛すぎたけどいっぱいありがとうを言わなければならない。

 

でも、もう大丈夫。そろそろ会いたいな。まだ会えないのかな。

 

生まれて来れずとも私を守ってくれた我が子たち。

ありがとう。会いたいな。

 

でも会えないのかな。やっぱり。