私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

18、出口はない

セカンドオピニオン的に新しく紹介していただいた病院にて、新たにいくつかの項目を検査した。

相変わらず、婦人科系の検査は痛い。発狂ものだ。でも、自分でもびっくりするくらいに慣れたものでちょっとやそっとの痛みでは何とも思わなくもなった。

 

痛みというのには体は慣れていくものだ。心は決して慣れるものではないけれど。

 

その中で、前の病院では検査しなかった項目から二つほど『もしかしたら関係してるかも』レベルで見つかったものがあった。一つは投薬にてすぐに直せるもの。もう一つは元々私の体に足りないものを長期的にサプリメントで補っていくというもの。

 

前述の通り2回目の流産後、初めて不育症の検査を一通りした時はこれといった原因がわからないまま3回目の妊娠に至り、それも上手くいかなかったというモヤモヤがずっと張り付いていたので、小さな物でも原因になり得るかもしれない事を一つ一つ治療して進んでいくという工程があるだけで心はとても軽くなり、閉ざされていた始めの扉が開いた気がした。ありがたい気持ちになった。

 

出口の見えない、いや、出口が無いかもしれない真っ暗な洞窟の様な中から脱出するのは困難というか到底無理な話だ。心がもたない。

地図だけは持ち合わせていて、もしかしたらこれが出口かもしれないという小さな希望があるだけできっと人は前に進む力が湧く。原因がわからない事ほど辛いことはないと、この経験を経て私は心底思った。

原因不明は心の癌だ。

元から体に障害を持った方や、原因のわからない不治の病いと称されているものと戦ってる方々、何も関係なく『原因不明』の理由で家族の命を奪われてしまった遺族の方々は本当にすごい。日々生活をしている中でこうした方々へのリスペクトの気持ちは確実に今までよりも上がった。

ずっと暗闇の洞窟で生活しながらも、小さな光を少しづつ摘むんで必死に息をして生きているのだ。

 

でも、良く言う

「神様はその試練を乗り越えられる人にしか与えない」

という言葉は好きじゃない。

 

世の中には当たり前のように理不尽なことが沢山存在するし差別や格差、そんなものも当たり前のように存在する。

こんな事をまた言ったら怒られるかもしれないけど、神様が本当に存在するならとても嫌なやつだ、と思わざるを得ない事があまりにも多すぎる。

(こう思ってる時におみくじを引くと大抵「信心せよ」とかかれるのだけど・・・)

 

皆、頑張って食いしばって出口を掘り起こして必死に出ようとするか、その暗闇で必死に明かりを灯して生きていくしかないのだろうか。

 

生きているとどうしても、頑張ってもかなわない事が沢山あることに気づかされる。

そこで絶望するのは当たり前だけど、きっとそこからまた違う夢を見る力を持っていれば何とか、いや、絶望を味ってない人よりもきっと彩りのある人生を歩めるようになるのではないだろうかとも近頃思うのだ。

 

最近やり始めたドラゴンボールのゲームで(実は相当のゲーマー女子です)『サイヤ人は死にかけると更に強くなる』という能力を持っているということを久々に思い出した。

そうそうこれこれ。

 

人間も、絶望を味わい、死を感じ、痛みを知れば知るほど次の夢を拾い上げる力を蓄えらえられるように強くなるのではないだろうか。

そして、夢には大きいも小さいもない。数だって一つだって、沢山あったっていい。

 

『大きな夢を見つけて、頑張って叶えるんだ!人生は!』論はもう正直、飽き飽きである。