何ヶ月かカウンセリングに通いながら想いを話し落とすことで、少しずつだけど日常に色を取り戻していった。
そんなある時、先生から
「今度流産や死産を経験した人やご夫婦を集めて3つの団体でセミナーを行うんです。」
という話を聞いた。
世の中には流産をした奥さんに対して全くの無関心でいる男の人も少なくないと言う。厳しく言わせていただければ、まぁ男なんて基本はそんなものだと思う。
自分の体は痛くも痒くもないないし、きっかけを与えればそれで終了なのだから。
その点、私の旦那は何とか一生懸命私のことを理解しようと努めてくれていた事は痛いほど伝わっていたけど、前述のように前妻との子供がいるという事実が私には重くのしかかり絶対的な『夫婦の共感』を得ることは難しいとカウンセリングでも話をしていたので、先生から
「もし可能ならばご主人といらしてみてください」とお声がけいただいたのだ。
初夏の日差しが射し始める季節、旦那と一緒にそのセミナーに参加した。
各団体の代表の方々ももちろん流産・死産の経験者の方で、お一人お一人先ずはご自分の実体験とともにその時の心情や体の負担を話しながらも、ポツポツと見受けられた男性にも理解しやすいように逆に理路整然と図式にして心と体の変化について説明する場面もあった。
セミナー中もすすり泣く声がたまに聞こえてくる。
そんな話を聞きながら、走馬灯のように今までのことを思い出していたが、その場にいた人たち全員が同じこと経験してる人なんだ。仲間なんだ。というシェルター的な魔法がかかっていて涙は出るが皆どこか安心しながら泣いていたように思う。
そしてその後は何グループかに集まって自分の事や心情を吐露する時間を与えられた。
海外ドラマや映画ではよく、何か辛い体験をしたり何かに依存してる人たちが一堂に会して各々の状態や気持ちを話すという場面を当たり前のように目にする。
日本ではまだそういった集まりを見つけることさえ大変で、『自分で見つける気持ちになれるまで』頑張らないとその場を知ることさえできない。そういう気持ちになれない状態から救い出してくれる団体や集まりが当たり前のようにならないと陰で苦しんでそこで終わってしまう人は増えてく一方だ。
現に
「私が流産を経験した時はこんな話せる場所だなんて全くと言っていいほどなかった。」
と、もう20年以上前に流産を経験しながらもずっとそれを一人で抱えたまま生きてきたと言う年配の方もいたのだ。旦那さんにも勿論気持ちの奥底なんて話せずにきたと言う。
このセミナーに参加して強く思ったのは、こういう集まりがあるよ。沢山同じ想いをしてる人がいて、あなたは決してただの孤独じゃないよ。ということを流産や死産を経験して同じように辛い思いをしてる人にもっと知って欲しいということだった。私自身もものすごく励みになったし安堵し勇気付けられる1日だった。
共感という大きなシェルターは絶対的に必要なものであると思う。絶対に。
セミナーの帰り道、久しぶりに手を繋いだ旦那が
「すごく色んな事がよくわかったよ。あんなに辛い思いをしてたんだね。頑張ったね。」
と言った。
また濃い、人間らしい涙が流れたのをよく覚えている。
このセミナーがなければきっと私自身も私たち夫婦も先には進めなかったと思う。
今でも、この時グループに別れて語らった何人かの人たちが元気にしてるだろうか。と思う事がある。空を見上げて思い出す事がある。
もう会うことはないかもしれないけど、『仲間』であると認識した人たち。